リコリスの花言葉にまつわるお話

リコリス 花言葉 写真

写真撮影:青木繁伸(群馬県前橋市)

リコリスの花言葉は、「再会」。

ヒガンバナの仲間、リコリスは、雑草の中から咲いていると分かりづらいのですが、綺麗なお花には葉っぱの連れ添いがなく、球根からいきなり花茎を伸ばして咲くので、ハダカユリの別名を持つものもあります。

葉っぱは、お花が終わってしまった後に出てきて、もっぱら球根を太らせるために、お日様の光を浴びて育ちます。

けれど、普通のお花が葉っぱを一番茂らせる夏になると、力尽きたかのように葉っぱは落ちてしまいます。

そして、栄養を蓄えた球根から、華やかなお花がひとり立ち上がるのです。

「再会」の他、「遠い思い出」、「悲しい思い出」などの花言葉のあるリコリスですが、この葉っぱとお花の関係を見ていると、決して会う事のない、すれ違いのドラマを見ているようなもどかしさ。

綺麗な姿とはうらはらに、本当に不思議な性質を持ったお花ですね。

「再会」を花言葉に持つリコリスは、こんな花です。

リコリスは、ヒガンバナ科、ヒガンバナ属の総称。

真っ赤な花火のようなお花はヒガンバナ、夏の里山のふもとなどで、薄いピンク色をしたヒガンバナに良く似た形のお花を見つけたら、夏水仙。

夏の終わりの雑木林などで、橙色の花を咲かせるのはキツネノカミソリ。

いずれも昔から雑草の中に自生していたお花ですが、ルーツは大陸より渡来したものを人の手によって植えられたようです。

それにしても、相当古い時代のことと思われますから、いつの時代にどんな人の手が、この不思議なお花を植えたのでしょう。

想像を膨らませるのは楽しいことです。

曼珠沙華といえば、北原白秋の詩に山田耕筰が作曲をした、有名な日本歌曲があります。

・・・ごんしゃん ごんしゃん 何本か
地には七本 血のように
ちょうど あのこの 年の数・・・(「曼珠沙華」北原白秋)
ごんしゃんとは、九州の方言で良家のお嬢様のこと。

とても意味深そうな詩は、「ひとつ摘んでも・・・また開く」、「いつまで取っても・・恐や 赤しや まだ七つ」と続きます。

耕筰が書いた歌の方も、たいへん重々しい響きをした曲で、日本人が長い間このお花に寄せてきたイメージをつぶさに感じることができる、陰鬱だけれど不思議な魅力のある歌です。

赤いヒガンバナの別名には、テクサリバナ、ユウレイバナ、ヤクビョウバナ、シビトバナなど、不吉な呼び名が全国に星の数ほどあるようです。

言い伝えも、触れると手が腐る、お花の下に死びとが眠っている、家に持ち込んで活けると火事になる・・等、なにかと因縁のあるものばかり。

これらはみな、ヒガンバナの持つ強い毒性から、人々、とりわけ子ども達の身を護るための智恵だったのではと考えられています。

ヒガンバナの球根には、リコリンというアルカロイド系の毒があり、その毒は人を死に至らしめることもあるのです。

ところがこのヒガンバナ、本来は食料のために植えられたという逆説的なお話も存在しています。

ヒガンバナの毒は解毒をする事ができ、ユリ根のように少々のでんぷんを得られるので、飢饉など万一の時のために備えて、わざわざ普段は食べようとも思わないこの花を選び、人里離れた山すそやお墓などに植えたのだそうです。

そして、子ども達には不吉な花として触れぬように言い含め、親達には解毒方法を秘伝として伝えた・・と。

先人達の、幾重にも深い気遣い、智恵を感じさせるお話をよそに、今では素直にそのお花の綺麗さから、普通にお庭に植えることも多くなったヒガンバナ。

見ている分には、こんなに軽やかで華やかなお花です。

涼しげな薄ピンクの美しい夏水仙も、野道で見つけると小躍りしたくなるほど。

放射状に反っくり返った花びらの様子から、英語ではスパイダー・リリーという名前も定着しているようです。

最後に、リコリスグミやハーブキャンデーに用いられる薬草のリコリス(甘草)は、英語で綴れば別スペルの、全く別種のマメ科植物ですから、くれぐれも混同されませぬよう!

リコリスの花言葉から貴方を占うと・・・

また見ぬ未来を夢見て、今を生きることは虚しい努力でしょうか?美しいイメージは架空のものですが、いつか再会を果たすと信じれば、その夢は心の糧となり、生きるためのエネルギーとなって、しらずと現実をも鮮やかに映し出すようになることも。

また夢は、夢だから夢でいられるもの。

つかまえることができないからこその存在ともいえるのです。

何かに向かってひた走る今が、すでに夢を生きている・・・そう思うことも、できますね。

果たせぬ再会のイメージも、ポジティブに受け取れば、何かが変わってくるかもしれません。