楓の花言葉にまつわるお話

楓 花言葉 写真

写真撮影:青木繁伸(群馬県前橋市)

楓の花言葉は、大切な思い出。

日本で一番よく売れるクラシックの名曲はビバルディの「四季」という話は、ずいぶん以前から言われていましたから、きっと多くの方がご存じですね。

それくらい日本の四季は変化が激しく、それぞれの季節の色合いもはっきりしているということなのでしょう。

季節のめぐりくる感触は、思い出を重ねるごとにその妙味を増していくように思われます。

小さな子どもなら、お花が咲いてもわあきれいで終わってしまうところが、恋のひとつも経験するような年齢になれば、季節の空気を嗅いだだけであれこれ思いが重なって、わけもわからず涙が出てきたりという有様に。

自然の風景、植物の姿や空の色などは、そんな季節の移り変わりを映す鏡のようなもの。

春の桜や秋の紅葉などは、その最たるものですね。

万葉の古代から、そんな植物たちに思いを託した歌が数限りなく詠まれてきました。

楓の名前は、百人一首の中にもずいぶんたくさん見つかりますよ。

新しい季節の到来に、ふと忘れていたような思い出がよみがえるような瞬間は、きっと誰もが経験していることでしょう。

繰り返し訪れる懐かしい思い出は、お花や果実などのように実態こそ無いけれど、季節の大切な恵みのひとつと言ってよいのではないでしょうか。

「大切な思い出」を花言葉に持つ楓は、こんな花です

楓は、北半球一帯に自生するカエデ科の落葉高木です。

もみじとかえでは通常同じものとして扱われ、植物分類上も同じものですが、紅葉の程度や葉の形によって言い分ける習慣もあるようで、葉の切れ込みの深いものがもみじ、浅いものはかえでという説も。

かえでという名前は元々「蛙手」に語源があり、切れ込みの浅い葉の形が、水かきのある蛙にの手にたとえられたのだと聞けば、なんとなく納得してしまいますね。

もみじの手といえば、可愛らしい赤ちゃんや幼児の手のひらを指したりしますが、学名をつけた人も同じ発想をしていたようで、「手のひらのような楓」という学名が日本で最もポピュラーなイロハモミジにあてられているのは興味深い事です。

確かに、カナダの国旗にもなっているトウカエデなんかの葉っぱに比べると、日本のもみじの葉っぱの形には、しっかりとした切れ込みが入り、手のひらにも星のようにも見えますね。

空前の園芸ブームが起こっていたという江戸時代には、300種ほどもの品種が作り出されたという楓ですが、さすがにこれだけ真っ赤に紅葉する、星のように美しい形の葉っぱは西洋の人々にも新鮮だったようで、紹介されるやガーデニング素材として大人気になりました。

西洋のトウカエデの紅葉は、緑からピンクがかったオレンジ、濃いオレンジへと微妙なトーンを描く葉の色が、こんもりと大きな木全体を通して風景的に美しく映ります。

それに対し、日本の楓は真紅に色づいた1枚1枚の葉の形もくっきりと、光を通して輝いたり、緑の苔や水面を彩ったりする様子がなによりの魅力。

そんなことからも、ガーデニングという小宇宙を楽しむ趣向には、ぴったりの素材だったのでしょうね。

真っ赤な紅葉の色は、秋になって枝との交流を遮断された葉っぱが、せっかく光合成して作った糖分を枝に送れなくなり、溜まった糖分が赤いアントシアニンへと転じたもの。

昼はお日様をしっかり浴びて葉っぱの糖分が上昇し、それが夜になり一気に冷えると、真っ赤な色あいが生まれるのです。

糖分といえば、メイプルシロップで有名なサトウカエデほどではありませんが、日本の楓の樹液も糖分が高く美味しいのでしょうか、寒い冬、つららとなった樹液には、ひもじい野鳥やリスなどが集まってきて、一心につららを舐めたり齧ったりする様子がみられます。

日本の楓からシロップは作れないようですが、真っ赤な葉っぱを下ごしらえした後、甘味のある衣でからりと揚げた土産物は幾らか存在していて、名古屋から手近なもみじの名所、香嵐渓のもみじ揚げなどが有名です。

もっと身近なお土産としては、いまや全国どこでも手に入る、広島のもみじ饅頭がありますね。

とても愛されている葉っぱです。

秋の陽だまりの中で、あまりに鮮やかな色につい手を伸ばし、拾った1枚をしおり代わりにページの間へ・・・でも、読書もノート取りも携帯やパソコンで済ませられるようになった今、そんなふとした所作でさえ減っていくことになるのでしょうか。

ちょっと淋しい気もします。

楓の花言葉から貴方を占うと・・・

心の奥に、ずっとしまっておきたい大切な思い出がありますか。

強い思いを秘めた記憶は、まだ新しいうちは、心を惑わせたり重いストレスとなって、あなたを苛み続けるかもしれません。

けれどそんな思い出も、いつかは心の深いところに仕舞い込まれて、大切な宝物へと転じていくでしょう。

そんな大切な思い出に変えていくためにも、今できる事はやり残さないことです。

現実から逃げたり、適当な対処でごまかしたり、うやむやな態度で接した事どもは、いつまでたっても大切な思い出にはなり得ないのです。